2001年の7月に英国へ。
思えば長年の夢でした。わたくしが中学生の時分、ビートルズを聴き始めたころから英国旅行は夢だったのです。大学生のころエルガーにはまってから、ますますその夢はふくらむ一方でした。勤め先がつぶれ、失業の身になってはじめて夢を実現することが出来たのです。
おりしも英国クラシック音楽メーリング・リストを通じてナンキプーさんと知り合い、そのころ氏は著書「希望と栄光の国」を出版されるところでした。氏の著書にはエルガーゆかりの地が紹介されるのです。わたくしは「希望と栄光の国」の刊行を待って英国に出かけることにしました。
都合により旅の期間は限られていました。そのためスケジュールはハード。6泊8日はロンドン2泊、グレート・モールヴァン1泊、ウスター1泊、リヴァプール2泊というものです。
ここでは旅のなかからエルガーにゆかりの深いロンドン、グレート・モールヴァン、ウスターの思い出を記します。
「アビイ・ロード」といえば、ビートルズの13種あるオリジナル・アルバムのうち、もっともよく売れたアルバムです。アルバムのできばえは「サージェント・ペパーズ」に勝とも劣らぬ傑作とされています。おかげで「アビイ・ロード・スタジオ」といえば世界でもっとも名前の知れたレコーディング・スタジオになってしまいました。
もっとも、以前は単に「ロンドンEMIスタジオ」と呼ばれていました。しかし同アルバムの大ヒットで、スタジオが有名になってしまったため、逆にあとから「アビイ・ロード・スタジオ」を正式名称に変更したのだそうです。
このスタジオを使った有名なミュージシャンは、なにもビートルズに限りません。フルトヴェングラーもカラヤンもシュヴァルツコップもさだまさしも使った由緒あるスタジオです。そしてこのスタジオのこけら落としをしたのが誰あろうサー・エドワード・エルガーその人なのです。
地下鉄セント・ジョンズ・ウッド駅からほど近く(徒歩3、4分)にあります。やはり観光客で賑わっていました。スタジオの壁という壁は落書きだらけ。
アビイ・ロードといえばエルガー・ファンにとっては忘れられない写真があります。1932年スタジオ出入り口付近で若きイェフディ・メニューイン卿がエルガーとともに撮ったスナップ(エルガー75歳、メニューイン16歳)。あと1966年に同じくメニューイン卿がサー・エイドリアン・ボールトと同じ場所で撮ったスナップ(ボールト77歳、メニューイン50歳 注:年齢は誕生日を考慮せず、ただの引き算に拠ります)です。
スタジオ出入り口での店主。むかって左にエルガーのレリーフ
アビイ・ロードの入り口階段にて。左から、メニューインとエルガー、メニューインとボールト、ザ・ビートルズ
エルガーの名前のレリーフのクローズ・アップ。
左はビートルズのアルバム「アビイ・ロード」のジャケット。
例の横断歩道は自動車の通行量が多く、写真を撮るのも結構命がけだったりします。
ポール・マッカートニーよろしく裸足の写真。店主の背中左あたりの白い塀がアビイ・ロードスタジオ。
翌日。グレート・モールヴァンに向かいます。電車に揺られること約2時間半。
グレイト・モールヴァンは雨でした。
宿は The
Abbey
Hotel。何気なくネットで見つけて予約しました。このホテルはプライオリー教会の宿泊施設といった感じで、また偶然ベル・ヴュ・テラスやプライオリー公園と目と鼻の先だったのです。
雨の中、エルガー像に近づくと、そこに一人の紳士が「エニグマ噴水の解説書き」をながめ佇んでいました。ひょっとしてこの方もエルガー・ファン? そう思い、わたくしは遠巻きにエニグマのテーマを口笛で吹く。やはり紳士は振り向いて声を掛けてきました。
「エルガーがお好きなのかね?」
「ええ、とても。」
「そうかね! わたしはロンドン近郊に住んどるんだ。ここへ来るのは久々なんだよ。10年ほど前までは毎年来ておったんだがね。」
それからしばらくでひとしきり盛り上がります。エルガーが好きで日本から来た話やら、デュ=プレの話やら、ケン・ラッセルの話やら…。
「英語が大の苦手でして、もっと出来ればいろいろお話しできるのに。」
「なぁに気にすることはない。わたしは一切日本語を知らんのだから。」
やがてボールトやメニューイン、ヒコックスの話になると
「お前さんエルガー協会には入っとらんのか?! あしたブロードヒースのバースプレイスに行くんだろう? あそこで受け付けてるから是非、入んなさい。」と言う。
そして彼は最後に
「明日の好天を祈っとるよ。」って言うと、握手を交わし自動車に乗って去っていきました。お名前だけでも伺っておけば良かったと悔やまれますが…。
翌日、彼の祈りが通じたのか朝から抜けるような青空。モールヴァン・ヒルの頂が目にしみるようでした。
雨のベル・ヴュ・テラス。中央はエルガー像。右はエニグマ噴水。
マリア・ガルソンのピアノ版「謎の変奏曲」のジャケット。ベル・ヴュ・テラスの写真が使われています。
色々と話し込んでしまった見知らぬ紳士。
エルガーの墓(中央)。他に訪れる人はなく、ただ静かに眠っていました。聖ウルスタン教会にて。
翌日は目も覚めるような青空。ベル・ヴュ・テラスからモールヴァンの丘を見上げる。
旧エルガー宅 「クレイグ・リー」
そこかしこにあるエルガー・ルートの標識
グレート・モールヴァンからウスターまではもう目と鼻の先です。ウスター大聖堂のすぐ近くにある Diglis Hotel
を宿に。荷物を預けるや憧れのエルガー生誕記念館へとタクシーをとばします。
「ドゥ・ユー・ノウ・ケンニーチ?」
エルガー・バースプレイスに着くとすぐに、愛想のいい男性スタッフが声をかけてきました。ケンニーチ?なんじゃそりゃ。日本の友人だと言う。彼とはよくメールをやりとりしているとのこと。よく考えたら「ケンニーチ」って「ケンイチ」? あぁナンキプーさんのことかぁ「オフ・コース・アイ・ノウ・ヒム!!」。っつーことは、このひとが本に載っていたクリス・ベネットさん? 訊くと「そうだ」と言う。それから熱烈歓迎の嵐でした。あこがれの地で歓迎していただいたこと、生涯忘れられませんね。
思ったよりコテージは小さく狭いものでした。中にはエルガーの遺品やなんかが陳列されていました。しかし、そんなことはもうどうでもよくなってきます。レコード・ジャケットでしか見られなかった、あのエルガー生誕記念館に今いるんだって思うだけでもう胸がいっぱいになってしまいました。
ウスター大聖堂近くにあるエルガー像
エルガー生誕記念館の副館長クリス・ベネットさんと店主。背景はエルガーの生まれたコテージ。
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