エルガーとの出会い



  エルガーとの出会い〜デュ=プレ、バレンボイム、チェロ協奏曲



  わたくしはエルガーの音楽が大好きです。聴き始めたのは1982年(18歳)のころからだったかと思います。もともとクラシック音楽を聴き始めたのは1973年のことです。エルガーの音楽にハマるまでは、いわゆる「名曲名盤主義」ではありませんが何を聴いて良いやら、とにかく有名なものばかりを聴いていました。なかでもブルーノ・ワルターのモーツァルトとか、アイザック・スターンのメンデルスゾーンなんかよく聴いていました。  ただそんななか、指揮者のカール・ベームが嫌いでした。というのもテンポがのろくリズムが弾まずメロディーが歌わないことおびただしいからです。ウィーン・フィルとのモーツァルトやブラームスなどいろいろと買って聴いてはみました。が、決して楽しめるものでありませんでした。ところがこの国でのベームの評判と来たら、まるで神様扱いでした。出るレコードはほとんどが絶賛され、来日すれば演奏評は激賛の嵐でした。
  そんななかただひとりベームの批判をするひとがいました。出谷 啓という音楽評論家です。わたくしは出谷氏と趣味が合うように感じました。以降、しばらくはレコード購入に際して出谷氏の批評を参考にするようにしていました。
  当時も今もレコードを購入するに際し、参考にしているのは音楽之友社の月刊誌「レコード芸術」です。そして拙宅の書架には1976年から今日に至るまで音楽之友社の「レコード芸術」誌が並んでいます。
  いまも時折過去の雑誌をひもとくことがありますが…。82年のある日、「レコード芸術」誌の1979年 4月号の「入門レコードは変わったか?」という特集をさらっていたときのことでした。特集の中、出谷氏執筆の「当世西洋古典音楽入門法 音盤利用編」を読んでいてふと気になる項目がありました。「高校生・大学生のための正統派入門」という項に…

  「今若い人のあいだでは、ソロ・ヴァイオリンというのは人気がないらしい。キーキーとヒステリックなのが疎まれ、おとうちゃんのようなチェロの方が何か温かく頼もしい気がして、特に女子学生にはモテモテらしい。曲の方もドヴォ・コンみたいな勇猛なのよりは、ちょっぴりおセンチでやさぐれた感じのエルガーの方が、きょうびの女の子には受けそうな気がする。」(190頁)

  とエルガーのチェロ協奏曲が推してあったのです。わたくしはエルガーのチェロ協奏曲の存在すら知らず、その項を読んで初めて知った次第です。当時わたくしは健全でタテマエ的な音楽に食傷し、よりセンティメンタルな音楽を求めていました。ですからすぐにエルガーのチェロ協奏曲に飛びついたのです。
  その項にはデュ=プレ(vc)バルビローリ/ロンドン響の演奏が推されていました。ところが、いざレコードを購入する段になって、なぜかその項を再確認しませんでした。

  「レコ芸」1980年7月号「クラシックファンのための レコードカタログ 666 PART 2」って項を参照してしまったのです。そこには…

エルガー/チェロ協奏曲ホ短調op.58,エニグマ変奏曲op.36
■デュ・プレ(vc)バレンボイム/フィラデルフィアo.
●エルガーの作品中、もっとも人気のあるのは「威風堂々」だが、代表作はこの2
曲。〈謎〉のバリエーションはいかにもイギリス人らしいものだが、チェロ協奏曲は
近代チェロ作品の名曲と評価が高い。この曲は女流チェリストにかかると精彩を放
つ、なんていう人がいるけど、ほんとかなぁ!?

CS CBS・ソニー(S)25AC144 (178頁、なお執筆者は不明)

  と、この項には同じデュ=プレでもバレンボイムとの共演盤が薦めてあったのです。別にベタ褒めしてあった訳でもないのに、この項が印象に残りました。「ふーん、デュ=プレのが良いのか…。ツケけはバレンボイム。」と、素直にバレンボイム盤を購入することにしました(でもあとからよくその特集を読み返したら、代表盤はあえて外して、セカンド・チョイス向きの盤が紹介されていたのです。)。
  しかしこの盤を聴き、エルガーのチェロ協奏曲にはハマってしまいました。恥ずかしながらずいぶんもらい泣きしてしまったものです。世に悲しげな音楽は多々あるが、こんなにまで悲しい音楽はほかに聴いたことがありません。
 深いため息のようなレチタティーフ。すすり泣くような弦のテーマ。それ応え、さめざめと泣き始めるデュ=プレのソロ。やがてオーケストラと共に慟哭する悲しみは筆舌に尽くしがたいものがあります。コンサートの実況録音であるため音質も冴えず、会場ノイズも耳につきます。しかしそんなことは聴いているうちにどうでもよくなってきます。
  チェロ協奏曲にハマったことから、こんな音楽を書いたエルガーっていったいどんな作曲家なんだろうって俄然興味がわき始めました。それから過去の「レコ芸」誌をいろいろと当たってみたのです。
  今を去ること20年以上も前、「レコード芸術」に「新・珍・西洋音楽ノススメ 『デーヤンの豊中魅幽塾』 塾長・出谷啓」っていう連載がありました。ただのエッセイなのですが、独特の関西弁叙述がほほえましく、楽しく読んでおりました。1977年9月号は「ワシの好きなレコード」というエッセイにエルガーの作品が紹介されていました。引用しますと…)

 「イギリスの音楽でもエルガー、エニグマ変奏曲やチェロ協奏曲みたいな大曲でも、けっこう泣かしよるけど、ワシの好きなのは「ミニチュア・エルガー」(英EMI CSD1555)いうレコード。いわば「エルガー小品集」やが、「朝の歌」「愛のあいさつ」、それに「子守唄」なんて曲は、いじらしいほどチャーミングや。コリングウッド指揮のロイヤル・フィルの演奏が、もっと上手やったら申し分ないのやけど、足らん分は想像でおぎないながら、これもなんべんきいたかわからんレコードや。」(197頁)

  とあります。で、早速に行きつけのレコード店へ註文に行きました。ところが、英国でもコリングウッド盤は廃盤になっている様子です。で、まず「朝の歌」を聴いてみようと註文したのがサー・エイドリアン・ボールト指揮ロンドン・フィルハーモニック盤でした。
  2、3週間後に入ってきたアルバムは「エルガー/子どもの杖」。フィル・アップに「夜の歌」、「朝の歌」、3つのバイエルン舞曲が入っていました。
  やはり「朝の歌」はとても愛らしくきれいな曲です。くわえて「夜の歌」はしみじみとした曲で、とても気に入ってしまいました。3つのバイエルン舞曲のなかの第2曲「子守唄」も…。
  それからというもの「この作曲家の作品をひととおり揃えてみよう」という気になりました。そこで三省堂の「クラシック音楽作品名辞典」と英国のカタログ「グラモフォン」を参照して、レコーディングされた作品を揃え始めました。もっとも、当時から(今はだいぶマシになりましたが)声楽嫌いなためオラトリオとか声楽作品には興味を示さなかったのですが…。
  交響曲に協奏曲、管弦楽曲にと、幸いその多くを好みの指揮者サー・エイドリアン・ボールトが録音していました。それでエルガーの作品をボールトの演奏で揃えていったのです。英国からLPを取り寄せて。「コケイン」、「フロッサワール」、「ポローニャ」「夢の子どもたち」、「謎の変奏曲」、「威風堂々」、「ゲロンティアスの夢」みなボールトの演奏で聴いていきました。
  また当時新興の「シャンドス」、「ハイペリオン」といったレーベルがエルガーの比較的珍しい作品を録音リリースして、ずいぶんとレパートリーがうるおいました。

  エルガーにこだわりはじめてからというもの、「評論家の演奏評をうかがいながら、評判のいいレコードを購入する」ことをやめました。以降は自分の好きな作曲家や演奏家にこだわって聴く、集めるという方向に変わっていったのです。

  ひととおりエルガー・コレクションが揃うと次第に興味は他の英国音楽の作曲家(ディーリアス、バックス、ハーティ、ホルスト、RVW、ラッブラ、ブリテン etc.)に移行していったのですが…。しかし、残念ながらエルガーの作品ほどハマるには至らなかったことは事実です。何しろもとより古典・ロマン派が好きで、近現代音楽が苦手だったのです。そしてその後、次第にわたくしの嗜好は英国ものから再びモーツァルトへと移っていきます。エルガーへのこだわりも徐々に薄れはじめていきました。わたくしのメール・アカウントが elgar などでなく amadeus になっているには実はそうしたいきさつからです。
  もっともこの1年半ほど前より英国音楽MLのみなさんに触発され、エルガー好きがふたたび高じてきました。そんな矢先、勤務先であった外食産業の株式会社ロートワイスがつぶれ、長年の夢であった自営業を始めることにしたのです。
  開業の前にはエルガー・バースプレイス・ミュージアムを訪ね…



参考までに (音楽之友社さん、勝手に転載しました。営利目的ではないのでどうかお許しください。)

  確かに志鳥 栄八郎さんの批評とわたくしの感想は合致します。チェロ協奏曲はまさに出だしから朗々として、たくましい音楽を奏でます。ただチェロ協奏曲に比較すると「謎の変奏曲」の演奏は今ひとつです。だからといってこれほどの名盤を「推薦」しない志鳥さんのセンスを疑ってしまうのです。


新譜月評 協奏曲より 担当:故・志鳥 栄八郎 (レコード芸術 1977年 5月号)

チェロ協奏曲ホ短調作品八五
エニグマ変奏曲作品三六
 デュ・プレ(Vc)バレンボイム指揮 フィラデルフィア管弦楽団 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団
 (S)(CBS・ソニー 25AC一四四)¥二五〇〇
 “花の命は短くて……”という言葉があるが、女流チェリストとして最も将来を嘱望されていたデュ・プレが、若くして“多発性硬化症”という難病に冒され、引退を余儀なくされたのはまったく残念なことである。このところ、彼女のレコードがたて続けに再発売されたが、このレコードのA面に収められた「チェロ協奏曲」は、一九七〇年の十一月二十七、八日の両日、彼女が夫君バレンボイムの棒でフィラデルフィア管弦楽団と協演したときの実況録音である。時期としては、昨年の四月新譜として発売されたベートーヴェンの「チェロ・ソナタ全集」から約三ヶ月後ということになるわけだ。デュ・プレのあまりにも短かった最盛期を刻んだ記念すべき一枚である。
  エルガーの「チェロ協奏曲」は、デュ・プレにとっては、楽壇デビューを飾った思い出の曲である。このレコードを聴くと、彼女がよくひきこんでいることがわかる。出だしからして実に朗々と楽器を鳴らしているし、そのテクニックにはまったく危なげない。しかも、バレンボイムのつけるバックがまたうまい。愛妻のソロを巧みにひき立て、しっかりとサポートしている。まさに“琴瑟相和す”という感じなのである。デュ・プレのチェロは実に太く逞しく、男性的なところがある。ときにその荒さが耳につくこともあるが、ここでは技術的な破綻はほとんどなく、美しい冴えた音色で聴き手を魅了する。ひき込んだ強みだろう。ナマの演奏会なので非常に緊張しているのだが、それでいて全体に余裕があり、自ら楽しみながらひいている姿がうかがわれ、強く胸を打たれる。このような録音が今頃になって出てきたというのは、不思議なくらいだ。もっと早く出してくれたらと感じた。
  この演奏を聴いたあとでは、B面の「エニグマ」変奏曲は、いささかお添えものといった感じをいなめない。この曲には、以前モントゥーの品の良い演奏が出ていた。今度のバレンボイムの演奏は、全体に表情もリズムも重くて、やや演出過剰ぎみのところがあり、そこにちょっとひっかかった。しかし、高望みさえしなければ、これはこれで流れの豊かな演奏で、オーケストラも好演していてとれる。第十変奏の表情のおもしろさ、第十一変奏の歯切れのよさとリズム、第十三変奏のロマンティックな気分のあらわし方など、いずれもみごとだ。木管楽器のうまさも注目に値しよう。





レコード芸術別冊「新編名曲名盤500ベストレコードはこれだ!」より


  わたくしはランキングが大嫌い。で、この企画も順位などどうでもよろしい。ただ、けっこうマイナーな演奏家が下位に出てきたりするのが興味のマトなんです。
  ところでこの投票に3人の評論家がデュ=プレ、バレンボイム盤に票を投じています。コメントを見て、出谷氏は「夫君の棒がいささかソロに奉仕しすぎる」との批判を寄せています。しかし、わたくしの聴く限りそんなことはみじんも感じられません。むしろ志鳥氏のいうように「ソロを巧みにひき立て、しっかりとサポートしている」のほうが当たっているように思われます。
  また故・三浦 淳史氏は「ある種の危機感を覚える」と批判しています。この一言だけでは何のことかさっぱりわかりません。テクニック的に破綻をきたしているわけでもないし…。あまりに緊迫感が強く尋常ではないという意味なのでしょうか。そういう意味ならわからなくはないのですが。

エルガー チェロ協奏曲ホ短調 Op.85
@位=32点
 デュ・プレ(vc)バルビローリ/ロンドンso〈65〉[A(S)EAC81009]
A位=10点
 デュ・プレ(vc)バレンボイム/フィラデルフィアo〈70(L)〉[CS(S)25AC144]
B位=9点
 ハレル(vc)マゼール/クリーヴランドo〈79〉[L(S)L28C1060※]
C位=6点
 カザルス(vc)ボールト/BBCso〈46〉[A(M)GR70063]
D位=4点
 ヨーヨー・マ(vc)プレヴィン/ロンドンso〈84〉
 [CS(D)32DC534/25AC2101]
D位=4点
 フルニエ(vc)ウォーレンステイン/ベルリンpo〈不明〉[G(S)SLGM1394※]
F位=3点
 トルトゥリエ(vc)ボールト/ロンドンpo〈72〉[A(S)EAA85021※]
G位=2点
 カーシュバウム(vc)ギブソン/スコティッシュ・ナショナルo〈79〉
 [Cds(S)OX1184※]


宇野 功芳(デュ・プレ/バルビローリ5点 トルトゥリエ/ボールト3点 ハレル/マゼール2点)

  デュ・プレのチェロは天才的だ。雄大な造型、豊かな表情、ロマンティックな感情、凄まじいフォルティシモからぞくぞくするようなピアニシモの幅の広さ! バルビローリも良きパートナーぶりを示す。
  トルトゥリエはもっと枯れた表現の中に、しみじみとした人生の晩年の憂愁がにじみ出ており、この方を好む人も多いだろう。ボールトもソロにぴったりだ。
  ハレルはデュ・プレに似るが、フィナーレの小ぢんまりしすぎるのが残念。


高橋 昭(カザルス/ボールト4点 デュ・プレ/バルビローリ4点 ヨーヨー・マ/プレヴィン2点)

  カザルスの演奏はスケールが大きく、どちらかといえば地味な曲に豊かな起伏を与え、充実感をもたらしている。
  デュ・プレ盤の演奏は力強く、のびやかさもあって、音楽を高く飛翔させている点でカザルスに劣らない。その後、彼女に匹敵する演奏家が現われていないのが何よりの証拠であろう。
  ヨーヨー・マの演奏はスケールが大きいと同時に内省的で、強い緊張感とのびやかな感情がとけあって音楽に豊かさをもたらしながら、音楽を深く掘り下げている。


出谷 啓(デュ・プレ/バルビローリ5点 デュ・プレ/バレンボイム3点 ハレル/マゼール2点)

  このうつぜんとした近代の名品をデュ・プレは、バルビローリとともにしみじみとうたい上げて、見事というほかはない。彼女の手によって作品が、現代に甦ったといっても過言ではない。
  バレンボイムのものも、彼女のソロは立派の一語につきるが、夫君の棒がいささかソロに奉仕しすぎるのが気になる。
  ハレルは男性ソロイストとしては、この曲で成功した稀な例に数えられる。抒情的で趣味のいい、好演といって差し支えないだろう。


濱田 滋郎(デュ・プレ/バルビローリ4点 フルニエ/ウォーレンステイン4点 カーシュバウム/ギブソン2点)

 じっくりとか噛みしめるように、しかも情熱を湛えながら奏いたデュ・プレのそれは、彼女の最高の演奏に数えられよう。
  フルニエはより闊達に表現して、さすがに風格がある。さてもう一枚、ハレル、シフもそれぞれ(管弦楽も含め)まことに行きとどいた秀演だが、カーシュバウムには、よりいっそう深い曲への共感が感じ取れる。カザルスはもちろんカザルスだが、SP後期のものなのに管弦楽の録音が悪すぎる。


三浦 淳史(デュ・プレ/バルビローリ7点 デュ・プレ/バレンボイム2点 ハレル/マゼール1点)

  エルガーの〈チェロ協奏曲〉は戦前にはビアトリス・ハリスンの妙技によって、その真価が発揮され、この曲は女流チェリストに限るとまでいわれたのを、戦後に再現したのがジャクリーヌ・デュ・プレである。デュ・プレの演奏は哀しいほど美しく、特にバルビローリとの協演では彼女は「いざ、さらば、夏の光よ」とうたいあげている。
  バレンボイムとの協演も熱演だが、ある種の危機感を覚える。


吉井 亜彦(デュ・プレ/バルビローリ7点 ヨーヨー・マ/プレヴィン2点 カザルス/ボールト1点)

  デュ・プレには、バレンボイムと組んだライヴの新盤もあるが、まず最初にとりあげねばならないのは、バルビローリと組んだ旧盤だ。ここでの彼女のチェロははつらつとした表現力を持ちその後に彼女を襲う悲劇など少しも感じさせない。けっしてアマゾネス的にはならないのだが、彼女のチェロには不思議な凛々しい力強さがある。それに、ここではバルビローリの音楽づくりがじつにゆたかな表情をひき出しており、すばらしい。


藁科 雅美(デュ・プレ/バレンボイム5点 ハレル/マゼール4点 カザルス/ボールト1点)

  デュ・プレの演奏はバルビローリ指揮のエンジェル盤も忘れがたいものだが、その5年後の夫君との協演によるライヴ盤は、彼女が不治の病のため惜しくも引退する三年前の、心技ともいっそう円熟した名演。ハレルは、デュ・プレの力強く情熱的な表現とは対照的に沈潜的、瞑想的だが、表現の多様性と深さで傑出しており、この曲に対する世人の認識を高めるのに貢献したカザルスの思い出の録音共々、必聴の価値を持っている。



  
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